LayneがYouth recordsに所属が決まったことに向けて
高校時代の友人であり、人生の恩師の一人でもある萩本あつしのバンドLayneがYouth recordsに所属が決まったという。私は、正直事務所について何も詳しいことを知らないからよくわからないけれど、ゴーイングアンダーグランドなどがいるらしい。萩本あつしと私の出会いから振り返り、思い出話でも聞いていただければと思う。
まず、最初にバンドを知ったのは15歳のとき。私がヨコハマ・ハイスクール・ミュージックフェスティバル2010という横浜市主催で横浜アリーナにて開催されるイベントの選考班としてイベンドを運営していたときのこと。
高校生バンドから送られてくる、何千、何万ある(ないかもしれないけれど)CDの中を選考していたが、萩本あつし氏の前身バンド「The learners」だけが飛び抜けてカッコよく聴こえた。
メンバーは4人。vo.萩本あつし、ba.米山弘恭、gt.畑ユースケ、dr. 大井一彌。
ドラムの大井一彌は、現在yahyelやDATSなどでも活躍しているというので、知っている人もいるかもしれない。本当に綺麗な顔をしているので、女性陣の皆さんはチェックしてみてほしい。もちろん、ドラムの腕もね。
初めてライブを見たのは新宿紅布で、対バンは忘れたけれども、いいライブをしていたよ。そう、「みんなわるいんだ」という曲が好きでね。インターネットに上がっていないし、聴く機会はないんだけれど、聴いてみてほしい。
YHMFの大会のあれこれは省略するけど、簡単に言うと優勝した。私が優勝に誘導したと言ってもいいでしょうが。
その半年後あたりに、ギターを増やし(吉田巧さんというYogee new wavesというバンドでギターを弾いていた方)、PARADEというバンドに変わって活動していた。
巧さんのギターはまるでジョンスクワイアのようなんだけれど(実際大好きらしいし)、面白くて好きだ。私はずっと畑さんのギターが映画・さらば青春の光におけるモッズたちみたいでカッコよくて好きだったんだけれど、今はバンドをやめてしまったらしい、本当に悲しいことだよね)
PARADEとしてのライブを初めて見たのは、Zepp仙台でライブをしていたときのことだろう。たしか高校2年生の時だ。友人に誘われて、仙台まで夜行バスを使って見にいったのだった。深夜バスの中、私はずーーーっと当時好きだった「ももいろクローバー」の音源を友人に聴かせ続けて、はっぴいえんどがいいとか、なんとか喋り続けて親友を困惑させていたよね。かみぬまゆうたろうなんかもハマっていて、これが最高なんだよとか言ってた。
その後、バンドは解散してしまう。それでも、本当に心からいいバンドだと思っていたんだった。下北沢ベースメントバーでの解散ライブ。対バンで覚えているのは、ストックホルム。あれもめちゃくちゃいいバンドだったよね。そのバンドのドラムがこれまた登場Yogee new wavesの現在ボーカルのケンゴさん。その時のTwitterの名前が後悔健悟で、アイコンがアニメのAKIRAだったことをなんとなく覚えている。ツイッターがめちゃめちゃ面白くて、夜更かししてまでケンゴさんのツイッターを見ていた。
PARADEの解散ライブは本当に悲しくて、いいライブだったと思うんだけれど、悲しさが勝ってしまった。
その後、萩本さんはソロになって活動するようになる。2回だけライブをしていて(それが萩本あつしとTHE UFORIANSというバンド)、そのライブにトランペットとして出させていただいた。私はトランペットのことは好きだけど、上手ではないと思っているので、申し訳ない気持ちになったんだけれども、すごく楽しいライブだったと思う。
多幸感だった。(THE UFORIANSだけにね)
いい時代であったなあと思う。だからこそ、私が高校生の頃、一番に信じていた萩本あつしというシンガーが売れていく(かもしれない)ことに関して、喜びしかありません。
最後に、萩本あつしソロの曲の歌詞を引用。
最愛のときを人は忘れるから そばにいてほしい
悲しみと添い遂げたら 愛のうたを歌おう 愛のうたを 僕らは ひどく願っていた
愛した言葉が愛の言葉になるなら
萩本さんのことばには何度も救ってもらった。これからも救っていただきたいと、私はそう思っています。